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2012年2月 2日

ご報告と誓い

2009年と2010年は、骨折からアキレス腱炎にまで進めてしまいました。
痛み止めを使いながら、
時にはディフェンディングチャンピオンとして・・・
時にはアマチュアチャンピオンとして・・・
時には誇りにかけて、
意地を貫く戦いでした。

ソフト

しかし、勝負に徹することは難しく、
完走すらできないと分かっていても、意味を見出しながら、やせ我慢しながらやってきたところがありました。

かっこつければ競技者としての姿にこだわったかたちです。

結果はボロボロでしたが、思えば、そうでもしていないと、自分を見失いそうだったのです。

昨年、満を持して2011年を迎えたつもりでした。
初戦は石垣島が5位。
これからと思いながら、続く天草国際トライアスロンでは、前年優勝者として記者会見は景気良く放ったものの・・・当日のレースは失速。ランニングスプリットでは、とったことのない250位(総合78位)
痛くも、しんどくもないのに力が入らなくなりました。
続く、指宿大会も同じく・・・
6月に入って地元の宮島大会は、前年2位の実績から招待選手として出場。
2.5kmのスイム後半から失速し2位で上陸したものの、岸に上がって走れていなく、一応バイクでトップに立ちながら、やはり失速し途中棄権。


その後のレースはすべてキャンセルしたシーズンとなりました。

その中には地元のさぎしま大会。

権利を持っていた北京での世界選手権。

ほかにも出場に想いを持つ大会がたくさんありました。

悔しくて、むなしくて、気持ちの行き場を失うようでした。

さまざまなストレス(本人はストレスと思っていませんでした)から、帯状疱疹など体の方が反応し、精神的にもつぶれかける感覚に見舞われました。
仕事も休むようになり、今までの日常がなくなりました。
こんな自分を見せたくなくなり人を避けてきました。

HPを更新しなかったのもその理由です。


それでも状況を知らない周りには普通に演じてきました。
さまざまな場面で、気が付かれないように演じてきました。
笑顔も作りました。

覇気は無かったでしょう。
気にならなかったのなら、私の演技力です。


スイムでは50mがやっと。

ランニングでは信号待ちでうずくまりそうになるほどです。

このまま終わってしまうかも知れない感覚と、自分の生かせ方が分からなくなる事も感じました。
年齢や、社会性などで言い訳をすれば、自分の気持ちさえもだませるのかもしれないとも思いました。


スポーツができなくなるのなら、

自分を生かし、情熱を注げる仕事に出会いたいと、リクルート活動も進めました。
前に進めずにいる姿を、傍で支える妻は、すっかりやせてしまいました。
両親は知っていても知らぬ振りをしてくれました。

抑えきれない気持ちを、何とか抑えることができたのは、妻と両親のお陰です。

 

今の現状を抜け、これから希望を抱ける道へ進みたいと、想いを募らせています。
そんな時、師匠や勇者(兵庫の年代別チャンピオン)からの手紙や支援者からのメールや言葉が届くのです。


自身を再確認する、涙がこぼれるほどの言葉が連なっているのです。


私には、そんな人たちがいてくれる。
物心両面で支えてくださる人たちもいて下さる。
幸せ過ぎるのです。

小さなころから、

びっくりさせたい!
喜ばせたい!
そんな私らしい気持ちがよみがえってきました。


結局、進んでいくしかないと思う気持ちで2012年に入りました。
年頭に、自分の魂を信じる言葉を書きました。
やっとまともなトレーニングができるようになり、
心と体が前に進みだしすことを感じれるようになりました。

40歳になる今年は、人生の節目になるのかもしれません。
まだ、完全復活ではありませんが、
知るも知らぬも、接してくださった方々へ対して深くお礼を申し上げます。

少なくとも、その一瞬は平常心でいることが出来たのですから。


福元テツローはこのまま終わるわけにはいきませんし、
両親や、師匠、妻、私の大切な人たちが言う想いと合わせて、

私の使命を追い続ける生き方をしていきたいと素直に思います。
私らしい、男前な生き方をしていきます。
みなさま、これからもどうかよろしくお願いいたします。

投稿者 テツロー

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